夢を見た。
「たまには神棚の掃除くらいしなさい」
神からだった。
そういえば、全然掃除してないな。。。
(実話です)
神棚は家を建てる時に設置した
全く必要なかったが母の勧めで仕方なく造った神棚。普段なら断るけど母は仏様とか神様的なものをかなり信じてる人だ。
人は心底信じてるものを否定されても簡単には揺るがない。だから無理に断ることはしなかった。母も我が家のために良かれと思って言ってくれたことであり、そこには悪気など1つもない。
ただ、本当にいらなかった。
神棚の意味もわからない人
そもそも神棚ってなんだろうか。
興味がないので調べることもなかった。私は神棚に限らず宗教とかも良く分からない。
あれば運気が上がるとか、昔からの日本独特の風習が今も受け継がれている。そしてまた私たちも子供たちに伝えていかなくてはならない。うまく説明できないけどこんな感じで捉えてる。
でも伝えなくても良い気がする。
今の若い世代はもっと興味がないような気がするし、だから「神棚は本当にいるのか?」と疑問に思う人もこれから増え続ける一方だと思う。ただ重要なのはそれが今ではないこと。
問題もある
「相手が神」
・神様なんていない
・信じない
しかし100%の確信はもてないので心の奥のどこかに潜んでる。幽霊なんていない。信じない。と思っててもぶっちゃけちょこっと怖い。
興味ない人が神棚を造るといらない感情も作られる
神棚を設置したはいいけど放っておいたらバチがあたりそうな気がしなくもない。
・例えば家に放置された神棚がある
悪いことが続くと「これ神棚のせいでは…。」といらない思考が始まる。背負う必要のないものを背負ってる気がしてならない。
「良いことがあったら神様のおかげ、悪いことがあったら私のせい。」
そんな思いになりますよ。
神棚は必要な人が設置するべき
うちは年1回の掃除とお札交換はしている。
百歩譲ってこれが限界。
私は神棚に興味も何もない。
やれと言われても体は動かない。
掃除やお札も母が全て準備してくれるので、私はありがとうと伝えてそれを受け取り重い腰を上げる。それも悪い気持ちになる。せっかくの好意に対して心からのありがとうではないから。
いらないと思ってる人が設置するとこうなるのかと、悪い見本です。それに時間を要するのならば、他にやるべきことが沢山ある。
全ては心
「神は心の中にいる。」
これが一番しっくりとくる。
神頼みをしたことはないだろうか?
いざという時「神様お願い」なんて心で願ったことはないだろうか?例えば身近な人に災いが降りかかった時、無意識に何かに託してないだろうか。
それがきっと神。
そしてそれだけで良い。
まとめ
「神棚の設置を迷うくらいなら必要ない」
何故なら世話をしないからである。
世話をしないと不幸があれば神棚のせいにする。
しかしそれは自分のせいだ。
設置したからには全くの放置は良くないと、設置してみて初めて実感する。
お世話と言っても正しいルールも存在しない。
・毎日掃除して下さい
・水を換えて下さい
などもなくルールは家庭で決めれば良い。
手が回らないのなら1週間に1度の水、塩、酒をかえる。それぐらいで神様も怒りはしないし、器も小さくないだろう。
やるならできる範囲内。
ただ、それすらも行えないと、途端に罪悪感が生まれます。
お世話できるなら問題はない。